大判例

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大森簡易裁判所 昭和40年(ろ)955号 判決

被告人 高橋忠義 両角久男

主文

被告人等は無罪。

理由

本件公訴事実は、

「被告人両名は共謀のうえ、昭和四〇年五月一六日午前一時ころ、東京都大田区西糀谷四丁目一三番地一号京浜急行株式会社穴守線糀谷駅の裏手路上において、穴守稲荷駅々長小島三郎の管理に係る糀谷駅上りホーム外側のモルタル壁に、管理者の承諾を得ないで、みだりに「三矢作戦反対、売国と反動の佐藤自民党内閣打倒、民青同盟」と印刷したビラ一枚を貼付したものである。」

というのである。

被告人両名が前記の日時場所において、前記の建造物にその管理者の承諾を得ないで、前記のようなビラを貼付したという事実は、本件の各証拠により証明十分である。従つて本件ビラの貼付に当り管理者の承諾を得なかつたという事実があつただけで、軽犯罪法一条三三号にいうところの「みだりに」の構成要件を充足しているものと見られ得るならば、本件の被告人等は、他に違法阻却又は責任阻却の事由が存在しない限り、有罪であると認められねばならない。しかし単に当該物件の所有者又は管理者の許可又は承諾を得なかつたという事実だけでは、右法条号にいう「みだりに」の構成要件を充足するものとは言えないのであつて、判例によれば、この外に社会通念上(若しくは法感情上)是認し得るような理由が存在しないことを必要とするとされるのである。そこで本件における立証及び弁論の重点もここに置かれていたのであるが、この点に関する検察官の立証は十分なものではない。即ち検察官は本件の冒頭陳述において、「この壁は京浜急行が宣伝広告を掲出するほか、所定の広告料を徴して一定期間広告の掲出を許可していたものである。」と述べているが、この点が事実に反していることは、同駅の管理者たる小島三郎証人の当公判廷における証言に徴し明白である。検察官は、この外にも本件ビラの貼付が美観を損うものであること、管理者にとり迷惑なものであることなどが立証されたとしているが、それは主として右小島証人の主観の範囲内に止まるものであり、果してそのような感覚が、一般社会人の日常生活において発生したのか、それが殆んど知覚又は意識の線上に浮んで来ない程度の軽微なものであるのか、又は堪え難い不快と怒りとを覚えさせる程度の強度のものであつたのか否かについては、全く証明されるところがないのである。しかし、法と道徳との限界線上にある軽犯罪法上のいくつかの行為(本件もその一つであるが)については、法益侵害の程度が社会一般の法感情上許容し得ない程度に達しているか否かが、違法性ないし構成要件該当性を決定するにつき最も肝要な論点であると認むべきである。

思うに、判例にいわゆる「社会通念上是認し得る理由」があるか否かについては、単に行為の結果のみを眼中において判断すべきではなく、寧ろ行為者の意識又は意図した行為の動機及び目的と、行為の手段、方法、態様、場所柄及び之によつて生じた公益又は私益の侵害度とを比較考量し、これら各般の事項を併せ観察して、それら各個の積極的ないし消極的価値の総合計において、わが民主主義憲法下の法治国として許容できない程度の消極的価値が明らかになつた場合において初めて、現下の法社会感情として是認し得ないものがあると謂うべきである。

これを本件について見るに、当公判廷における前記小島証人の証言するところを全体として公平に判断するならば、本件ビラの貼られた壁面は、駅当局にとり関心の薄い箇所であり、その利用法を考慮した形跡すらなく、従つて本件行為によつて右管理者の受けた迷惑感は甚だ軽微なものであつたと認められ、警察当局からの知らせがなければ、管理者はこのビラ張りの事実に気付かずに数日ないし十数日を経過し、又は風雨により本件ビラが自然に剥離し飛散するまで、遂に気付かずに終つたかも知れない程度のものと認められる。蓋しその貼付に使用された糊は洗濯物用の薄いもので、貼付された物件を害することなく雨滴等により容易に剥脱する性質のものであつたことは、本件当日の両角被告の司法警察員に対する供述調書により明らかである。また、当裁判所の検証結果によれば、本件の場合は糀谷駅上りホームの裏手にあたり、これに沿う通路一帯は人に索漠とした感を与えるばかりでなく、このホーム裏の灰色のモルタル壁は、本件ビラの貼付された箇所付近において、硝子戸のあるべき窓が板で塞さがれている状況と相竢つて、何となく荒廃した情景を呈しており、当裁判所としてはこの通路一帯についてもこのモルタル壁自体についても、本件のようなビラ一枚の貼付により侵害せられるべき美観などというものを発見し得なかつたのである。即ち本件のビラ張り行為は、場所柄からいつても、その貼付方法においても、被害を最小限に止める配慮がなされていると認められるのであり、また一般の通行人もこのビラの貼付により別段不快の感を催すとも思われず、また現場付近の美観が損われたと感ずるとも考えられないし、左様な事実が起り得たという証明も全く存在しない。ましてや、本件のビラ貼付により公共の福祉が何程かでも侵害まれたとか、侵害される虞が生じたとかいう事実は想像も出来ず、証明もされていないのである。

これを要するに、本件ビラ張り行為によつて生じた法益侵害の程度は、考え得られる限りにおいてミニマムなものであり、この程度の行為に刑罰を以て臨むことが、軽犯罪法の法意に添う所以であるか否か、甚だ疑わしい事案であると謂わざるを得ない。

次にそれでは、被告人等の本件行為の動機、目的は如何なるものであつたであろうか。これを明白ならしめるのは、本件ビラの内容それ自体と、被告人等の司法警察員に対する各供述調書及び当公判廷におけるそれぞれの供述とである。ところで、これらにより明らかにされている限りにおいて、被告人等の時局に関する認識は必ずしも公正妥当なものとは言い得ないが、しかし本件当時の世界情勢(殊にキユーバ事件以来の米ソ間の緊迫した国際関係、南ベトナムの戦線における米ソ両軍の衝突の危険等)の下において、わが国も亦日米安保条約の建前上、戦争に捲き込まれる危険に直面するに至つたことを、被告人等は鉄鋼関係の産業の従業員として肌身にヒシヒシと感じていた矢先き、自衛隊幹部による国家総力戦の研究である「三矢作戦」なるものが、国会において暴露され、新聞雑誌等において之が論議されるのを見聞するに及んで、戦争勃発によつて生ずる測り知れない惨禍を何としても防止したいという已むにやされぬ気持から、本件ビラを貼付したものであると認められる。従つて、その目的とするところは、自分達労働者の生活権の確保だけではなく、寧ろ国家及び国民全体の福祉であり、平和憲法の擁護であつたというべきである。そして右の動機、目的から、被告人等が貼付したビラは、前示のように「三矢作戦反対、売国と反動の佐藤自民党内閣打倒、民青同盟」と白紙の上に鮮明な原色で印刷した縦約三六センチ、横約一三センチの小紙片であり、その用語には若干穏当を欠く点もあるが、これを本件ビラと共に同時に付近の電柱等に貼付したと認められる同型の二種のビラの内容(それは「憲法改悪反対、徴兵制の復活をゆるすな」というのと、「アメリカはベトナムから手を引け」というもので、いずれも民青同盟の名入りのもの)と併せて観察するならば、本件ビラは理由もなしに佐藤内閣を侮辱する誹謗文書ではなく、前記の目的を達成するために強力に国民の注意を喚起しようとしたものとして、必ずしも不当なものとは言い難いものであり、そして、これらのビラの文言は、いずれも時局下における重大な政治問題に関する意見を簡明直截なスローガンの形で表現したものと言えるのである。

さて、右のような意図及び目的の下に、右のような内容をもつ政治的意見を、右のような場所にビラ張りの方法で発表した結果として、右に述べたような法益侵害の結果が生じたという全事実を総合して観察するとき、右ビラの貼付に当つて貼付箇所の管理者の許諾を得なかつたという事実だけを理由に、これを社会的に是認さるべき理由のない行為であると判断すべきであろうか。被告人等が本件ビラ張りによつて達成しようとした目的は、自己一身の私利、私欲にあるのではなく、政治の軍国化の阻止であり、国家及び国民の平和と自由と生命財産の擁護であり、そして本件の行為それ自体は要するに国民全体の大きな福祉に奉仕することを意図する政治的意見の発表であつたのであり、これは言うまでもなく、憲法の保障する表現の自由の権利を行使したものと見られ得るものである。これに対し、本件のビラ張りによつて生じた公私の法益の侵害度は、前述したように、考えられる限りにおいて最低であつたと認められるのである。大きな公共の福祉に貢献するための表現の自由が、これと比較にならぬ程の微小な公共の福祉(本件においては前述したとおり、公共の福祉が侵される虞さえなかつたと認められる)をわずかに傷けるからと言つて、これを以て表現の自由を濫用したものであるとすることは出来ない。

固より本件ビラ張りの行為によつて、被告人等の意図する軍国化阻止の効果が果して僅かでも挙つたか否かは疑問である。しかし、いわゆる「三矢研究」がわが国の国家総動員体制化を研究する日米共同作戦の計画であり、それは遠い未来に対する空想的作戦理論ではなく、当時の世界情勢下に現実に生起し得る米○戦争に即応する為に、わが国の参戦と軍事的役割とを事前に明確ならしめようとしているものであつて、それが幾つかの点において憲法違反の問題点を含んでおり、また局地戦争のみならず全面戦争と核兵器使用の危険、従つて亦、全国民の生命をも殆くする危険をも包蔵するものであることは、当公判廷における内藤証人の証言により、優にこれを認めることが出来るのであり、本件のビラがこの問題を公衆の目前にクローズアツプして、これに対する世人の関心を些かでも高め得たとすれば(これは現実にあり得たことである)、それは雑然たる街頭の電柱や駅舎の裏側の壁などについての、とるに足らぬ美観の侵害や、それらの管理者や通行人の殆んど意識に浮びさえしなかつたであろう程の迷惑感や不快感を償つて余りある国家的、政治的な利益であると謂うべきである。そして、二つの法益間に衝突が生ずる場合において、より大きな法益を優先させることは法律上の常識であるから、本件の場合についても、右に述べたような法益の比較から見て、被告人等の本件ビラ張り行為は法律社会上の通念として是認せらるべきものと判断されるのであり、従つて亦、軽犯罪法一条三三号に規定する「みだりに」という構成要件にも該当しないものと認むべきものである。

右の法律的判断は他に適当な表現の方法があつたか否か、又はこれが唯一の表現方法であつたか否かとは無関係であり、仮に他により簡便、安易な表現方法があつたとしても、常にそのような方法に拠るべきことを強制さるべき理由も存在しない。表現の自由の権利は、その表現の方法を不相当に制約されない点においてもその意義があるのであり、本件のビラ張り行為も上述のとおり、その方法として相当な範囲を逸脱していないと認められるものであつて、その現実の結果においては、寧ろ一般に行なわれている街頭演説やチラシくばりよりは公衆に迷惑をかける度合がより軽いと判断されるものである。そして特に政治的意見の発表については、その方法が余りに狭く限定されないことが、民主自由の政治体制を維持する上に極めて肝要である。政府に対する批判が封ぜられた社会ほど怖るべきものはなく、反省する機会を与えられない権力ほど禍なるものはない。之に反し、政府の施策に対する論難や批判が公衆の耳目に自由に入つて来る社会こそは、その国民にとつてもその政府自体にとつても祝福さるべきものである。

以上の理由により主文のとおり被告人両名を無罪と判決する。

なお、蛇足ながら、本件のビラ張り行為を無罪としたことを以て、ビラ張り行為なるものを定型的に無罪であると認めたものと誤解してはならない。故意的行為の刑法的評価はその行為の目的性を離れては成立しないであろう。表現の自由に藉口して故なく政府を攻撃し、又は理由なき流言を飛ばして人心を撹乱し、よつて社会的不安を作為し、あわよくば政府を顛覆して一党独裁の政権を樹立しようと企てる如きは、それ自体において自由権の濫用であり、従つてその表現方法の如何を問わず、法律上正当視されないことは多言するまでもない。

(裁判官 高橋正巳)

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